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富士山噴火の周期とサイクル|過去の噴火から間隔を確認

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富士山と山中湖の湖底堆積物を重ねた噴火史年表 自然と科学

富士山噴火に固定周期はなく、山中湖で見つかった空白期6回の痕跡も次回時期の予測ではありません。

山梨県の資料では過去約5600年間に約180回の噴火が確認されていますが、実際の間隔は不規則です。最後の宝永噴火から2026年8月で約318年が経過している事実だけでも、切迫性は判断できません。

富士山の「空白期間に6回」とは何が分かった研究?

2023年6月30日に発表された研究は、約5050~3900年前の富士山北東麓で、未確認だった噴火が少なくとも6回起きた可能性を示したものです。

これは富士山の次回噴火日や、一定の噴火周期を割り出した研究ではありません。従来は活動の空白とみられていた時代にも、噴火の記録が残されていたことを明らかにした研究です。

発表したのは、東京大学大気海洋研究所の横山祐典教授、宮入陽介特任助教、山梨県富士山科学研究所の山本真也主任研究員、亀谷伸子研究員、吉本充宏研究管理幹らの研究グループです。

論文は国際学術誌『Quaternary Science Advances』第12巻、論文番号100091に掲載されました。題名は「Eruptive history of Mt. Fuji over the past 8000 years based on integrated records of lacustrine and terrestrial tephra sequences and radiocarbon dating」です。

論文の著者は、山本真也氏、亀谷伸子氏、吉本充宏氏、宮入陽介氏、横山祐典氏。研究成果の要点は、東京大学大気海洋研究所が2023年6月30日に公表した資料に整理されています。

山中湖の湖底が選ばれた理由

研究チームが調べた中心資料は、山梨県が1998年に山中湖で採取した「YA-1」と呼ばれるボーリングコアです。

山中湖の湖底には、富士山から飛来した火山灰やスコリアなどの降下火砕物が、湖の泥とともに層をつくって堆積します。これらを総称してテフラと呼びます。

陸上のテフラは、雨や風による浸食、土壌の発達、河川の働き、土地利用などによって失われることがあります。薄い火山灰層ほど、後世の調査で見つけにくくなります。

一方、湖底では堆積物が時間順に重なりやすいため、陸上から消えた噴火記録が保存されている可能性があります。研究チームは湖底コアに加え、山中湖の南岸で2020年11~12月に行った陸上掘削調査の結果も組み合わせました。

放射性炭素年代測定と年代モデルを用いた結果、湖底コアに含まれる29のテフラ層について、平均誤差約±80年の精度で堆積年代が求められました。

その中に、従来の陸上調査では報告されていなかったテフラが、約5050~3900年前の範囲に少なくとも6層確認されたのです。

※画像はAIによるイメージ

研究が示していないことにも注意が必要

「少なくとも6回」という表現には意味があります。

確認されたのは、山中湖周辺までテフラを運び、湖底で保存され、現在の分析で識別できた噴火の痕跡です。富士山全域の同時代の噴火を、漏れなく数え切ったという意味ではありません。

反対に、一つの火山灰層を見つけただけで、噴火地点、継続期間、噴出量、被害範囲まで自動的に判明するわけでもありません。新たな6層については、噴出物の性質や噴火地点などをさらに調べる余地があります。

研究によって分かったのは、従来の陸上記録だけでは富士山北東麓の噴火頻度を過小評価していた可能性です。空白期間が埋まったことと、次の噴火が迫ったことは別の話として読まなければなりません。


約180回と湖底の29層はなぜ両立する?

約180回は富士山全体の噴火履歴をまとめた広域的な集計で、29層は山中湖の一地点で確認されたテフラ層です。対象範囲と数え方が異なるため、単純比較はできません。

「過去約5600年間に約180回」と「過去8000年間に29層」だけを並べると、より長い期間を調べた研究の方が少なく見えます。しかし、この二つは同じ母集団を数えた数字ではありません。

数字 対象・資料 数えているもの 主な注意点
約180回 富士山全体の過去約5600年間 地質調査などから整理された噴火 調査の進展や噴火イベントの区分で更新され得る
144回 2023年論文が先行研究から引用した過去5600年間の集計 先行研究上の噴火回数 約180回とは使用資料やイベント区分が同一とは限らない
29層 山中湖のYA-1コア、過去約8000年間 一地点に保存されたテフラ層 山中湖へテフラが届かなかった噴火は記録されにくい
少なくとも6層 約5050~3900年前のYA-1コア 従来未報告だったテフラ 噴火場所や規模などには未解明部分が残る

約180回という数字は、山梨県地域防災計画の令和8年版資料にも掲載されています。

一方、2023年の論文では、先行研究に基づく数字として過去5600年間に144回という集計が示されています。この違いは、富士山の噴火回数が一つの不変な数字ではなく、採用する資料、年代範囲、噴火イベントの分け方によって変わることを表しています。

たとえば、断続的な活動を一つの噴火として扱うか、複数の噴火イベントに分けるかで回数は変わります。新たな火口やテフラ層が発見されれば、噴火史そのものも更新されます。

さらに、山中湖の29層は富士山北東麓に置かれた一つの「記録計」のようなものです。

噴出物が別方向へ流れた溶岩噴火や、山中湖まで明瞭な火山灰を運ばなかった小規模噴火は、YA-1コアに残らない可能性があります。反対に、富士山の東側に位置する山中湖は、偏西風によって東へ運ばれるテフラを受け取りやすい場所です。

したがって、29層を8000年で割って平均周期を求めることも、約180回を5600年で割った約31年を次回予測に使うことも適切ではありません。

僕が重要だと考えるのは、数字の大小よりも「どこで、何を、どの方法で数えた数字なのか」を確かめることです。火山の年表は完成済みのカレンダーではなく、新しい地層が見つかるたびに書き換えられる研究記録なのです。


過去の噴火間隔はどれほど不規則だった?

気象庁が噴火年として示す有史以降の記録では、間隔は約19年から約350年まで大きく変動しています。

次の表は、気象庁「富士山 有史以降の火山活動」で「▲」が付された噴火年を中心に、直前の「▲」からの間隔を整理したものです。

噴火年 直前の掲載噴火からの間隔 主な内容・確度
781年 ― 8月に噴火し、降灰
800~802年 約19年 北東山腹。降灰、スコリア、溶岩流。VEI3
864~866年 約64年 北西山腹。青木ヶ原溶岩を流出した大規模噴火
937年 約73年 北山腹。スコリア降下と溶岩流
999年 約62年 3月26日に噴火。詳細不明
1033年 約34年 北山腹。スコリア降下と溶岩流
1083年 約50年 4月17日に噴火
1435年または1436年 約352~353年 北山腹。スコリア降下と溶岩流
1511年 約75~76年 8月に噴火
1707年 約196年 南東山腹の宝永噴火。VEI5
1707年以降 2026年8月で約318年 噴火は確認されていない

資料は気象庁「富士山 有史以降の火山活動」に基づきます。

ただし、この表の間隔を「確定した周期」と受け取ることもできません。

気象庁の一覧には、826年または827年、870年、952年、993年、1017年、1427年など、「噴火?」と疑問符が付された記録があります。詳細が分からず、確実な噴火年と同じ列へ機械的に加えることができない出来事です。

1435年または1436年のように年代に幅がある噴火もあります。古い時代ほど史料の残り方に差があり、地質学的な痕跡と古文書の記述を照合する難しさも増します。

この年表が教えるのは、平均的な間隔ではありません。短い間隔で活動した時代、数世紀に及ぶ空白、記録の確度が定まらない時代が混在しているという事実です。

800~802年の噴火は交通路を変えた

800年4月15日、富士山北東山腹で噴火が始まり、多量の降灰、スコリアの降下、溶岩流が発生しました。活動は801年にも続き、降灰や砂礫によって足柄路が埋没したため、802年には箱根路が開かれたと記録されています。

火山爆発指数はVEI3です。

この噴火は、富士山噴火が火口周辺だけの問題ではないことを示しています。噴出物は人の移動を妨げ、千年以上前の交通網さえ組み替えました。

864~866年の貞観噴火は湖と森をつくり替えた

864年6月に始まった貞観噴火では、北西山腹の長尾山付近から青木ヶ原溶岩が流出しました。

北西へ進んだ溶岩は本栖湖に達し、当時「せのうみ」と呼ばれていた湖を精進湖と西湖に分けました。北東方向の溶岩は吉田付近まで達し、人家を埋め、湖の魚にも被害を与えたとされています。

噴火の最盛期は開始から約2か月までで、マグマ噴出量は1.2 DRE立方キロメートルです。DREとは、噴出物の隙間を除き、元のマグマと同じ密度へ換算した体積を指します。

現在の青木ヶ原樹海、精進湖、西湖は美しい観光風景であると同時に、噴火が残した地形です。富士山の歴史は古文書だけでなく、森と湖の輪郭にも刻まれています。

1707年の宝永噴火は約196年ぶりだった

1511年8月の噴火から1707年12月16日の宝永噴火までは、約196年が空いていました。

宝永噴火は山頂ではなく、南東山腹の現在の宝永火口付近で発生しました。軽石やスコリアを噴き上げる爆発的なプリニー式噴火で、マグマ噴出量は0.7 DRE立方キロメートル、VEIは5です。

活動は12月末まで断続的に続き、その日のうちに江戸にも多量の火山灰が到達しました。気象庁の活動履歴には、川崎で5センチの降灰が記載されています。

噴火後には、堆積した火山灰や土砂の移動による洪水なども続きました。噴火が弱まれば災害も終わるとは限らないことを、宝永噴火は示しています。

※画像はAIによるイメージ

宝永噴火後318年は次の噴火が近い証拠?

宝永噴火から約318年が経過したことだけでは、次の富士山噴火が近いとも遠いとも判断できません。

1707年12月16日から2026年8月までは、約318年8か月です。有史以降の掲載記録では長い間隔ですが、経過年数が地下へ蓄積され、一定値に達すると噴火する仕組みではありません。

噴火の発生には、地下からのマグマ供給、マグマだまりや火道の状態、圧力、火山ガス、周辺の応力、地殻構造など複数の条件が関係します。

過去の噴火回数を期間で割った平均値だけでは、現在の地下状態を判断できないのです。

宝永地震の49日後という事実は一般化できない

宝永噴火の49日前にあたる1707年10月28日、南海トラフ沿いで宝永地震が発生しました。大地震が富士山の地下へ与えた影響は研究対象ですが、「大地震の後には必ず富士山が噴火する」とは言えません。

2011年3月15日22時31分には、富士山南部付近を震源とするマグニチュード6.4の静岡県東部地震が発生しました。その後、震源から山頂直下付近にかけて地震活動が活発化しましたが、噴火には至っていません。

2000年10~12月と2001年4~5月には深部低周波地震が多発しました。2008年8月から2010年初めには、GPS連続観測で地下深部の膨張を示すと考えられる伸びの変化が観測されましたが、その後終息しています。

これらは、地震や地殻変動を軽視してよいという話ではありません。一種類の現象だけで噴火を断定せず、複数の観測を継続して評価する必要があることを示す事例です。

2026年8月時点の富士山の活動状況

気象庁が2026年8月10日に公表した「富士山の火山活動解説資料(令和8年7月)」では、7月31日までの活動について、特段の変化はなく静穏に経過し、噴火の兆候は認められないとされています。

噴火予報は噴火警戒レベル1「活火山であることに留意」から変更されていません。

同資料に示された観測状況は次の通りです。

  • 萩原監視カメラでは山頂部の噴気を確認していない
  • 火山性地震は少なく、地震活動は低調
  • 火山性微動と浅部の低周波地震は観測されていない
  • GNSSによる地殻変動観測で、火山活動に伴う特段の変化は認められない

これは2026年7月の観測結果に基づく現在評価です。将来にわたって噴火しないという保証ではなく、過去318年の長さから導かれた評価でもありません。

過去の地層は数千年単位の活動履歴を示し、監視カメラ、地震計、GNSSなどは現在の変化を捉えます。この二つは役割が異なるため、混同しないことが重要です。


富士山噴火の周期を防災へどう生かす?

僕の考えでは、富士山の噴火史から読み取るべきなのは「次は何年か」ではなく、時間・場所・噴火様式の三つが一定ではないことです。

平均周期という一つの数字に縮めると、この三つの違いが見えなくなります。

800~802年の噴火口は北東山腹、864~866年の貞観噴火は北西山腹、1707年の宝永噴火は南東山腹でした。富士山は山頂火口だけから噴火する山ではありません。

噴火現象も、溶岩流、火山灰、軽石、スコリア、噴石など多様です。噴火後には、降り積もった噴出物が雨で移動し、洪水や土砂災害を引き起こす場合もあります。

山中湖研究から見える「保存の偏り」

今回の研究が防災上重要なのは、噴火回数が6回増えたことだけではありません。

私たちが見ている噴火史には、記録されやすい噴火と記録されにくい噴火があると具体的に示した点が重要です。

東側へ火山灰を運ぶ噴火は、富士山北東麓の山中湖に痕跡を残しやすくなります。一方、別方向へ噴出物が流れた噴火や、湖まで明瞭なテフラを届けなかった噴火は、同じコアでは捉えにくい可能性があります。

陸上の調査だけなら、浸食や土壌形成によって薄い層を見落とすことがあります。湖底調査にも、採取地点による偏りや年代測定の誤差があります。

つまり、どの方法にも「見える噴火」と「見えにくい噴火」があります。湖底、陸上露頭、トレンチ、溶岩地形、歴史史料を組み合わせて初めて、活動史の輪郭が鮮明になります。

僕はここに、富士山噴火の周期を考えるための新しい視点があると感じます。年表の空白は、山が完全に眠っていた証拠ではなく、記録を受け取る場所がなかった時間かもしれません。

地域によって備える現象は異なる

富士山麓では、新たな火口の形成、噴石、溶岩流、火砕流、融雪型火山泥流などからの避難が重要になります。

一方、富士山から離れた地域や首都圏では、広域降灰による鉄道・道路・航空、電力、水道、通信、物流への影響が主な課題になります。

火山灰は燃えかすではなく、細かな岩石や火山ガラスなどからなる粒子です。濡れると重くなり、道路の走行や排水を妨げ、機械や電気設備へ入り込むことがあります。

平時に確認しておきたいのは、噴火年の予想ではなく、自治体のハザードマップ、避難先、家族との連絡方法、最新情報の入手先です。

マスクや目を保護するもの、飲料水、食料、常備薬、携帯端末の予備電源なども、停電や物流停滞を想定して準備しておくと安心です。必要な備えは居住地や家族構成によって異なるため、地域の防災情報と照らして考えてください。

私見:周期ではなく「不規則性」を記憶する

人は、30年、100年、300年という数字を見ると、その先に規則を探したくなります。規則が見つかれば、見えない地下活動を管理できるように感じるからでしょう。

しかし、富士山の噴火史が最も明確に示しているのは、一定周期ではなく不規則性です。

有史以降だけでも約19年の間隔と約350年の間隔が混在し、噴火口は北東、北西、北、南東の山腹に現れています。さらに山中湖の湖底からは、従来空白とされた時代のテフラが少なくとも6層見つかりました。

約180回、144回、29層という数字の違いも、研究の誤りを意味するのではありません。それぞれが異なる資料と範囲から、富士山の一面を捉えた数字です。

霧に隠れた富士山が消えたわけではないように、地層から見つからない噴火が、必ずしも存在しなかったとは限りません。

だからこそ僕は、静穏という現在評価を冷静に受け止めながら、長い沈黙を安全の証明にも、噴火切迫の証明にも使わない姿勢が大切だと考えます。


まとめ

富士山噴火には、科学的に確認された固定周期がありません。

山梨県の令和8年版地域防災計画では、過去約5600年間に約180回の噴火が確認されたとされています。単純平均は約31年ですが、その数字から次回の噴火時期を計算することはできません。

2023年6月30日に発表された研究では、山中湖の湖底コアから過去約8000年間の29のテフラ層が分析され、従来空白とされた約5050~3900年前に、少なくとも6回の未知の噴火があった可能性が示されました。

29層は山中湖という一地点の堆積記録であり、富士山全体の噴火回数ではありません。約180回との違いは、期間だけでなく、調査範囲、保存条件、検出方法、噴火の数え方が異なるためです。

最後の宝永噴火は1707年12月16日に始まり、2026年8月で約318年が経過しました。ただし、長い経過年数だけで次の噴火が近いとは判断できません。

2026年7月の観測では富士山は静穏で、噴火警戒レベル1が継続しています。富士の静けさは未来の保証ではなく、過去を学び、地域に応じた備えを整えるための時間なのだと僕は思います。


よくある質問

富士山は30年周期や100年周期で噴火するのですか?

固定された30年周期や100年周期は確認されていません。

約30年は、約5600年間に約180回という集計を単純に割った平均です。実際の噴火間隔は数十年から数百年まで変動しています。

山中湖では過去8000年間に29回だけ噴火したのですか?

29という数字は、山中湖のYA-1コアで年代が調べられたテフラ層の数です。

富士山全体の噴火回数ではなく、山中湖までテフラが届かなかった噴火や、明瞭な層として保存されなかった噴火は含まれない可能性があります。

富士山が最後に噴火したのはいつですか?

最後に確認されている噴火は、1707年12月16日に始まった宝永噴火です。

南東山腹の宝永火口付近で始まり、12月末まで断続的に続きました。2026年8月時点で約318年が経過しています。

執筆:神楽 岳志(登山エッセイスト|富士山研究家|自然体験ストーリーテラー)

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