遠くから眺めると優美な円錐形を描く富士山ですが、その山頂や山腹には息を呑むほど巨大で荒々しい噴火口が刻まれています。
富士山の噴火口は山頂の「大内院」だけでなく、山腹にも70以上存在し、位置や名前、形成された歴史もそれぞれ異なります。
僕自身、10代の頃から幾度となく富士の頂に立ち、四季折々の表情や火山活動の痕跡を記録し続けてきました。
この記事では、富士山にある火口の正確な位置や名前、総数、そして山腹に開いた最大の割れ目である宝永火口の成り立ちまで、地質学的な背景を交えて網羅的に解説します。
富士登山では、「何を持っていくか」以上に「どう揃えるか」で準備の負担が大きく変わります。
購入とレンタル、どちらが自分に合うのか迷ったら、装備選びで後悔しないための考え方をこちらの記事で整理しています。
富士山の噴火口の位置と名前は?山頂「大内院」の構造
富士山の頂上にぽっかりと口を開けている主火口は、古くから信仰の世界で「大内院(だいないいん)」と呼ばれて親しまれてきました。
大内院は、富士山の最高地点である剣ヶ峰(標高3,776メートル)のすぐ東側に位置し、すり鉢状の険しい火口壁に囲まれています。
この山頂火口を取り囲むように、富士山頂には個性豊かな八つの峰(ピーク)が連なっています。
- 剣ヶ峰(3,776m):日本の最高峰であり、富士山特別地域気象観測所(旧富士山測候所)が設置されている場所
- 白山岳:山頂北西側に位置する険しい峰
- 久須志岳:吉田口・須走口の下山道分岐近くにそびえる峰
- 大日岳(朝日岳):東側に位置し、御来光を仰ぐ絶好のスポット
- 伊豆ヶ岳:南東側に張り出す岩峰
- 成就ヶ岳:火口の東縁に連なるピーク
- 駒ヶ岳:南東部に位置する岩山
- 三島岳:富士宮口頂上付近に構える峰
これらの八つの峰は、神仏習合の時代には薬師、観音、阿弥陀などの仏仏の名で崇められ、釈迦が座る蓮の花びらに見立てて「八葉蓮華(はちようれんげ)」とも呼ばれていました。
火口の縁をぐるりと一周するルートは、環境省関東地方環境事務所が管理する「富士山頂周回線道路(歩道)」が正式名称ですが、一般には「お鉢めぐり」として広く知られています。
お鉢めぐりの道程は約3キロメートルで、標準的なコースタイムは約1時間半。足元に広がる荒涼とした火口底を見下ろしながら、天候に恵まれれば遠く駿河湾やアルプスの山々まで見渡せるダイナミックな空中散歩が楽しめます。
山頂の噴火口の規模は、直径が約780メートル、深さが約237メートルに達します。
地上にあるビルで例えれば60階前後の超高層ビルがすっぽりと収まってしまうほどの深さであり、縁に立って底を覗き込むと、自然の猛威が削り出した圧倒的なスケールに誰もが圧倒されるはずです。
富士山腹にあるもうひとつの巨大火口「宝永火口」の正体
富士山の火口を語る上で絶対に外せないのが、山頂よりも巨大な開口部を持つ「宝永(ほうえい)火口」です。
宝永火口は、富士山の南東斜面の標高約2,100メートルから3,150メートル地点にかけて、北西から南東の直線上に連なる3つの火口の総称です。

山頂側から標高順に「宝永第1火口」「宝永第2火口」「宝永第3火口」と名付けられています。
特筆すべきは、最も山頂寄りに位置する宝永第1火口の直径が約1.2キロメートル(約1km超)にも及ぶという事実です。
山頂火口(直径約780メートル)をはるかに凌ぐ巨大な穴が、山の横っ腹に大きく口を開けている様子は、富士宮口や御殿場口の登山道から間近に眺めることができます。
この宝永火口を生み出したのが、今から300年以上前の江戸時代、1707年(宝永4年)12月16日に始まった「宝永噴火」でした。
宝永噴火は、第2火口および第3火口からの激しい軽石噴火によって口火を切りました。
その後、より上部に位置する第1火口から、無数の気泡を含んだ黒っぽい火山礫である「スコリア」を吹き上げる噴火へと移行し、約半月(16日間)にわたって猛烈な活動が続いたのです。
わずか半月の間に地表へ噴出したマグマの総量は、実に約0.7立方キロメートルに達したと見積もられています。
噴き上げられた大量の火山灰は上空の偏西風に乗り、100キロメートル近く離れた江戸の町まで降り注ぎました。
当時の記録によると、江戸市中には数センチメートルもの灰が降り積もり、日中でも太陽が完全に遮られて空が真っ暗になり、人々は昼間からろうそくの火を灯して生活せざるを得なかったと伝えられています。
東海道の宿場町であった原(現在の静岡県沼津市原)で役場の記録係を務めていた土屋家に伝わる『土地家所蔵絵図』には、当時の様子が克明に描かれています。
絵図は同じ南麓の地点から定点観測のように描かれており、噴火初期の12月16日昼に南東斜面の五合目付近から立ち上る噴煙、夜間に天城山まで明るく照らし出したという赤熱の火柱、そして1708年1月1日午前4時頃の大音響を最後に活動が収束した情景が残されています。
火口のすぐ北東側には、赤茶けた山肌が印象的な標高2,693メートルの「宝永山」がそびえ立っています。
一見すると噴火で吹き飛ばされた岩石が積み重なってできた丘のように見えますが、実はそうではありません。
地質調査の結果、宝永山を形作っているのは1万年以上前の古い噴火による「赤岩」と呼ばれる火山灰や火山礫の地層であることが分かっています。
地下深くにあった古い地層が、宝永噴火の凄まじい地殻変動によって地表へと力強く押し上げられ、隆起して誕生した小山なのです。
この隆起運動によって第2火口と第3火口の北東側の縁が大きく押し曲げられ、現在見られるようないびつな楕円形へと変形しました。
第1火口の火口壁を観察すると、幾重にも重なった古い溶岩流の断面を、地下からマグマが突き抜けた「岩脈(がんみゃく)群」が縦に貫いている様子が一目で分かります。
さらに火口底には、噴火の最末期に吹き飛んだ半溶融状態の溶岩がべったりと積み重なってできた「パンケーキ状スパター丘」の残骸や、マグマ溜まりの奥深くでゆっくり冷え固まった斑れい岩(深成岩)の破片が散らばっており、まさに天然の火山博物館と呼ぶべき景観が広がっています。
富士山にある噴火口の数は全部でいくつ?側火山の謎
「富士山の火口は山頂と宝永の2箇所だけ」と思われがちですが、実際には山腹全体に驚くほど多くの火口が存在します。
国土交通省中部地方整備局富士砂防事務所の調査データによると、富士山には山頂から山腹にかけて半径約13キロメートルの範囲内に70以上(明確に確認できるものだけでも約60個)の側火山(側火口)が存在しています。
側火山の数としては、富士山は日本一の規模を誇ります。
側火山(そくかざん)とは、火山が成長していく過程で、山頂の主火口以外の山腹や山麓にマグマが噴出してできた小さな火口や火砕丘のことです。
富士山の側火山の分布図を仔細に眺めると、きわめて興味深い規則性に気づかされます。
火口の半数以上が、山頂を貫く「北北西-南南東」の直線上に綺麗に整列して分布しているのです。
この直線的な配列は、日本列島が置かれたプレートテクトニクスの巨大な力によってもたらされています。
南の海から北上してくるフィリピン海プレートが、富士山が乗っている本州側のプレートを南南東から北北西方向へと絶え間なく押し続けています。
その圧縮応力に対して直角の方向(西南西-東北東)に引っ張られる張力が生じるため、地下深部には北北西から南南東へ走る無数の割れ目が発生します。
深部で発生したマグマは、抵抗が少なく抜けやすいこの地下の割れ目に沿って上昇するため、地表に現れる火口列も見事な直線上に並ぶわけです。
エリア 代表的な側火山・火口名 標高 地質的特徴・歴史的背景
南東側 宝永火口(第1〜第3) 2,150〜2,400m 1707年の宝永噴火で誕生した国内最大級の爆裂火口群。
南東側 二ツ塚(第一丘・第二丘) 1,802〜1,926m 御殿場口登山道周辺に並ぶ双子の噴石丘。別名「双子山」。
南東側 西臼塚(にしうづか) 1,293m 新富士火山の初期(旧期)に形成された、原生林に囲まれた側火山。
南東側 犬涼み山 1,206m 南麓の古い活動期に属する側火山のひとつ。
北西側 大室山(おおむろやま) 1,300m 青木ヶ原樹海に抱かれたスコリア丘。山頂に直径500m・深さ120mの明瞭な火口を持つ。
北西側 長尾山(ながおやま) 1,424m 西暦864年の「貞観噴火」で大量の溶岩を流出させ、富士五湖の地形を決定づけた。
北西側 御庭・奥庭火口列 2,180〜2,600m 五合目上部の斜面に階段状・割れ目状に連なる火孔の列。
富士山の側火山は、約1万年前から現在まで続く「新富士火山」の活動に伴って形成されたものが大部分を占めます。
その活動時期は旧期・中期・新期に区分され、南麓の西臼塚や犬涼み山のように古い森に覆われたものから、西暦864年に青木ヶ原溶岩流を噴出させた長尾山、そして1707年の宝永火口のように新しい時代に激しく開口したものまで、長い歴史の地層が山肌のあちこちに刻まれています。
登山靴、レインウェア、ザック、防寒着……必要なものを一つずつ揃えていくと、意外と悩むポイントが増えてきます。
しかも、すべてを購入することだけが正解とは限りません。
僕ならどこまで揃え、どこからレンタルを考えるのか。富士登山の装備を無理なく準備する方法をこちらの記事で詳しくまとめました。
初めて登る方でも、数分で全体像をつかめます。
富士山の噴火口の写真から読み解く「荒涼たる火口の今」
航空写真や登山道から撮影された写真を見ると、富士山の火口は青空の青と溶岩の赤黒いコントラストが際立ち、息を呑むほどの荒々しさを伝えてくれます。

山頂の大内院を真上から捉えた写真では、雪が解けた盛夏であっても、すり鉢の深い底に万年雪や氷片が白く残っている光景が見られます。
火口壁は激しい風化と崩壊を繰り返しており、赤褐色や黄土色の凝灰岩、黒い玄武岩溶岩の縞模様が露出し、地中の高熱に焼かれた太古の記憶を今に留めています。
一方、宝永火口の写真に目を向けると、そのスケール感はさらに異質です。
上空からの写真では、富士山の美しいなだらかな稜線が、突如として巨大なスプーンでえぐり取られたかのような深い窪みとなって写し出されます。
第1火口の巨大なすり鉢の底には、登山者が豆粒のような小ささで歩く姿が捉えられることもあり、人間という存在の小ささと火山の圧倒的なエネルギーを対比させて見せてくれます。
写真を通じて観察できる火口壁の崩壊や浸食の跡は、富士山が決して静止したモニュメントではなく、常に形を変え続けている生きた地球の一部であることを雄弁に物語っています。
富士山の噴火口の中に降りることはできるのか?歴史と安全の現実
富士山頂の火口を上から見下ろしていると、「あの底には一体何があるのだろう」「底まで歩いて降りることはできるのだろうか」という強い衝動に駆られる人が少なくありません。
結論からお伝えすると、現在の富士山において、山頂噴火口(大内院)の内部へ降りることは固く禁止されています。
かつて昭和の時代やそれ以前の登山史においては、山小屋の従業員や一部の登山者が自己責任のもとで火口底へ足を踏み入れるケースが見られました。
新田次郎の山岳小説に描かれた世界に魅せられ、底に湧き水があるのかを確かめようと空身で下りていった若者の手記なども残されています。
しかし、実際に降り立った人々が目にした現実は、ロマンとは程遠い過酷なものでした。
火口の内壁は平均斜度が30度から40度を超える急峻なガラ場(浮石の斜面)であり、一度足を取られれば数十メートルから数百メートルにわたって滑落が止まりません。
落石が日常茶飯事として発生する上、すり鉢状の底は一度下りてしまうと登り返すための足場が極めて脆く、自力での脱出が極めて困難になります。
さらに、かつて下界から持ち帰ることが困難だった時代のゴミが火口斜面に不法投棄され、環境破壊が深刻化していた暗い歴史もありました。
現在は環境省や山梨・静岡両県、警察などの厳格な管理のもと、登山道(お鉢めぐり歩道)を外れて火口内へ立ち入る行為は立ち入り規制および安全管理の対象となっています。
山頂火口は「降りる場所」ではなく、「稜線からその神聖さと地球の鼓動を仰ぎ見る場所」として向き合うのが、現代の登山者に求められる正しい作法です。
一方で、「火口の巨大さを肌で体感したい」という方には、富士宮口五合目から歩いてアプローチできる宝永火口のトレッキングが推奨されます。
富士山スカイラインを利用して車や登山バスで富士宮口新五合目にアクセスし、そこから整備された遊歩道を歩けば、約3時間ほどで宝永第2火口および第1火口の縁や底近くを周回することができます。
整備された正規ルートを歩く限り安全が確保されており、頭上にそびえ立つ第1火口の絶壁や、迫り来る宝永山の雄姿を安全かつダイナミックに体感できる貴重なフィールドとなっています。
火山地質学から読み解く富士山の未来と火口の行方
登山エッセイストとして、そして火山地質学を学んできた者として富士山と対峙するとき、僕の胸を去来するのは「次はどこから火口が開くのか」という静かな問いです。
世間では「富士山が再噴火したら、再び山頂が火を吹くのだろうか」と想像する方が多いかもしれません。
しかし、地質学の歴史を紐解けば、富士山が山頂から大噴火を起こしたのは約2,200年前が最後であり、それ以降の主要な噴火はすべて山腹に開いた側火口からの噴火でした。
西暦864年の貞観噴火は北西斜面の長尾山付近から大量の溶岩を吐き出し、1707年の宝永噴火は南東斜面を突き破って巨大な割れ目を作りました。
マグマの上昇経路を決定づける地殻応力(フィリピン海プレートの圧力)が現在も変わらず働いている以上、将来の噴火においても山頂ではなく、北北西から南南東に連なる山腹のどこかに新たな割れ目火口群が誕生する可能性がきわめて高いと考えられます。
富士山の整った円錐形のプロポーションは、山頂から均等に溶岩を流して作られたものではなく、無数の側火山が山肌を埋め尽くし、傷だらけになりながら幾重にも重なり合って形成された奇跡のバランスです。
山肌に刻まれた巨大な宝永火口も、樹海の下に眠る大室山の火口も、山が生きていることの動かぬ証拠にほかなりません。
私たちが普段目にする静謐で美しい霊峰の姿は、激動の火山活動の合間に訪れた、束の間の静寂に過ぎないのです。
火口の成り立ちとその圧倒的な痕跡を知ることは、富士山の真の姿を理解し、自然の偉大さと防災の重要性に思いを馳せるための第一歩となるはずです。
よくある質問
富士山頂の火口の深さはどれくらいありますか?
山頂火口(大内院)の深さは約237メートル、直径は約780メートルあります。すり鉢状の非常に険しい地形をしており、ビルの高さに換算するとおよそ60階建てに匹敵する深さです。
宝永火口と山頂火口はどちらが大きいですか?
山腹にある「宝永第1火口」の方が大きいです。山頂火口の直径が約780メートルであるのに対し、宝永第1火口の直径は約1.2キロメートルあり、富士山に存在する火口の中で最大規模を誇ります。
富士山の山頂火口の中に降りることはできますか?
現在は安全管理および自然保護のため、一般登山者が山頂火口(大内院)の内部へ降りることは禁止されています。急斜面で滑落の危険が極めて高く、脆い浮石による崩落のリスクがあるため、正規の歩道(お鉢めぐり)から見学してください。
富士登山の準備で迷いやすいのが、「本当にこの装備を全部買う必要があるのか」という問題です。
頻繁に山へ行く人と、まずは富士山に挑戦したい人では、合理的な揃え方も変わります。
大切なのは、費用だけで決めるのではなく、安全性や使う頻度まで含めて考えること。
購入とレンタルの違いが分かれば、自分に必要な装備もかなり整理しやすくなります。
富士登山の装備レンタルをどう使えばいいのか、詳しくはこちらの記事で確認できます。
全部読む必要はありません。気になるところだけ拾い読みしてみてください。

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