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富士山0合目から1合目、そして5合目へ─浅間神社から始まる本当の登山ルートと所要時間のすべて

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富士登山ガイド

富士山登山と聞くと、多くの人が思い浮かべるのは「五合目からの出発」だろう。
しかし、富士山を本当に“登る”とは、もっと長い、もっと深い時間を歩むことを意味している。

その本当の始まりは、ふもとの浅間神社——いわゆる「0合目」にある。
古くから人々は、そこを「神と人の境」として、祈りを捧げ、心を整えて山へ向かった。
信仰の山・富士は、ただ踏破する対象ではなく、敬意とともに歩む「精神の道」でもあるのだ。

僕が初めて0合目から登ったのは、十数年前。
夜明け前の境内を出発し、石畳を抜けて森の闇に足を踏み入れた瞬間、
「これは登山ではなく、ひとつの祈りの儀式なのだ」と、肌で感じた。
鳥の声も風の音も、すべてが僕を山頂へ導く“古の案内人”のように思えた。

本記事では、0合目の場所・意味・アクセス方法をはじめ、
1合目・5合目までのルートや所要時間、そして「ふもとから登る富士」の魅力を、
数え切れないくらい登頂した僕の経験と最新のデータを交えて、詳しく解説していく。

1. 0合目とは何か/どこにあるか

富士山0合目 浅間神社の参道

1-1 浅間神社を起点とする「0合目」の意味

「0合目」という言葉を、あなたは地図帳で見たことがあるだろうか。
実は、国土地理院の地形図には『0合目』という記載は存在しない
それでもなお、多くの登山者がこの言葉を口にするのは、そこに“公式地図には載らない富士の心”があるからだ。

僕が取材や登拝で出会ってきた地元の古老たちは、こう語る。
「浅間神社の鳥居をくぐった瞬間が、本当の登山の始まりなんだ」と。
つまり「0合目」とは、信仰と自然、神と人とをつなぐ見えない境界線を意味している。

その起点となるのが、各登山道に鎮座する浅間神社だ。 吉田口では 北口本宮冨士浅間神社(山梨県富士吉田市)、 富士宮口では 富士山本宮浅間大社(静岡県富士宮市)が知られている。
いずれも富士山信仰の総本社的存在として、平安時代から登山者を見守ってきた。

鳥居をくぐるその瞬間は、単なるスタートではない。
それは、「これから神の山に身を委ねる」という、ひとつの誓いの儀式なのだ。

1-2 0合目の標高・場所・アクセス

富士山には四つの主要登山口があり、それぞれのふもとに「0合目」と呼ばれる聖地がある。
標高や環境が異なり、どの神社も独自の表情を持っている。

  • 吉田口0合目(北口本宮冨士浅間神社):標高約850m、山梨県富士吉田市上吉田。古来より「表富士」と呼ばれ、登拝の中心ルート。
  • 富士宮口0合目(富士山本宮浅間大社):標高約110m、静岡県富士宮市。全国1300社の浅間神社の総本宮であり、富士信仰の原点。
  • 須走口0合目(須走浅間神社):標高約860m、静岡県駿東郡小山町須走。江戸時代には武士や商人が多く利用した“東海道の登山道”。

いずれの場所も、登山道の入り口であると同時に、心の準備を整える“祈りの場”として機能してきた。
僕自身、何度この鳥居をくぐっても、空気が一瞬で変わるのを感じる。
湿った苔の匂い、木漏れ日の揺らぎ、遠くから響く鈴の音——そこには確かに、「人の世界」と「神の世界」の境がある。

そしてこの「ふもとからの道」を歩くことこそ、富士登山の原点に立ち返る体験なのだ。

1-3 0合目の駐車場とアクセス

  • 吉田口:北口本宮冨士浅間神社に参拝者用駐車場あり。公共交通では富士山駅から徒歩約10分
  • 富士宮口:JR富士宮駅から徒歩圏内、境内に専用駐車場あり。
  • 須走口:東名高速「御殿場IC」から車で約20分、浅間神社境内に駐車スペースあり。

多くの登山者はバスや車で「五合目」から登るが、0合目から歩き始める人は今やわずかだ。
だからこそ、そこで味わえるのは、静謐と荘厳が共存する特別な時間
朝霧のなかで一人、鳥居をくぐる瞬間——その足音が、1300年続く富士登拝の歴史に重なっていく。

2. 0合目から1合目へ:最初の区間を歩く

富士山 吉田口の参道を歩く登山者

2-1 参道・登山道の風景と特徴

浅間神社を出発して鳥居をくぐると、世界が音を失う。
街の喧騒が遠のき、代わりに聞こえてくるのは風が杉の枝を渡る音と、自分の呼吸だけ。
その瞬間、富士の森はゆっくりとあなたを迎え入れる。

この区間はまだ、信仰登山の香りが色濃く残る参詣道だ。
苔むした石畳、木の根を縫う古道、そして時折現れる古い石碑や道祖神。
それらはかつての登拝者たちが残した“祈りの足跡”であり、歩くほどに時の層を踏みしめているような感覚になる。

僕自身、これまで幾度となく登頂しているうちに、何度もこの道を歩いてきた。
そのたびに感じるのは、「この道は山頂へ行くための道ではなく、山と心をつなぐための道なのだ」ということ。
ゆるやかに続く坂道は、体だけでなく、心を登山へと“慣らしていく”ための時間でもある。

2-2 標高差・距離・目安時間

0合目(浅間神社)から1合目までは、ルートによって多少の違いがあるが、 標高差はおよそ200〜400メートル、距離にして約2〜3キロメートル
平均的な歩行時間は約1時間〜1時間半が目安だ。

この区間は、まだ「登山」というよりも「精神の準備運動」に近い。
ただし、ここでの歩き方ひとつで、後半の体力消耗が大きく変わる。
地元の山岳ガイドたちも口を揃えて言う。
「0合目で急ぐ人は、8合目で止まる」と。
ゆっくりと、山の呼吸に合わせて歩く——それが、富士山と長く付き合うための第一歩である。

2-3 安全と体力配分のコツ

  • 序盤は“飛ばさない”: 富士山は標高3,776m。0合目から登る人こそ、最初の1時間は意識的にペースを抑える。
  • 小休止をこまめに: 木陰や石段の脇に腰を下ろし、呼吸を整えよう。心拍を落とすことが、結果的に最短ルートになる。
  • 水分補給を早めに: 1合目以降は自販機がほぼない。0合目の神社周辺で必ず補給を済ませておく。
  • “登らせていただく”という心: 富士山は世界文化遺産であり、信仰の対象でもある。祈りを胸に歩くと、心が自然と軽くなる。

この最初の1時間を、単なる「移動」ではなく、山に自分を委ねる時間として過ごしてほしい。
霧に包まれた朝なら幻想的な静寂が、晴れた日なら街並みと樹海の輝きが待っている。
どちらであっても、それは“富士登山の序章”にふさわしい美しい始まりだ。

そして何より大切なのは—— 「焦らず、富士に合わせる」という心構えだ。
人が山を征服するのではなく、山が人を受け入れる。
その関係を感じられた瞬間から、あなたの富士登山は本当の意味で始まっている。

3. 1合目から5合目まで:登山道の移り変わり

富士山 吉田口の登山道

3-1 各合目の見どころ・道の様子

1合目を過ぎると、富士山はようやく“山”の顔を見せ始める。
ここから先は、観光ではなく修行と自然の領域だ。

吉田口登山道の代表的な地点「馬返し」——かつては馬で登れるのはここまでとされた。
つまりここから先は、人の脚と祈りだけが頼りの世界になる。
この場所の名が今も語り継がれているのは、それだけ多くの登拝者が「ここで覚悟を決めた」からだろう。

森に入ると、空気が変わる。
湿った土の匂い、苔の緑、古木の間を抜ける冷たい風。
2合目、3合目へ進むにつれ、道は細く、苔むした岩や根の迷路が現れる。
富士の山体は火山灰と溶岩が幾重にも重なってできているため、地面は柔らかく、靴底から伝わる感触が絶えず変化する。
それはまるで、大地そのものが呼吸しているかのようだ。

4合目ではふと視界が開け、樹林帯の切れ間から山中湖や富士吉田の街を見下ろせる瞬間がある。
息をのむほどの光景だ。
そして5合目が近づくにつれ、森の密度が薄れ、再び人の声が聞こえてくる。
売店のざわめき、登山者の笑い声、カメラのシャッター音——
そこが富士山登山の玄関口であり、
“神の山”から“人の山”へと切り替わる境界でもある。

3-2 標高差と累積距離

1合目(標高約1,400m)から5合目(標高約2,300〜2,400m)までは、
およそ900〜1,000メートルの標高差がある。
距離にして約6〜7キロメートル

地理学的に見ると、この区間は「亜高山帯」の入口にあたる。
広葉樹の森が針葉樹へと変わり、気温も下界より5〜7℃ほど下がる。
この環境変化に体を慣らしながら登ることが、後の高山病対策にもつながる。

勾配は一見なだらかだが、長時間の登りが続くため、心理的な疲労が大きい。
「体が重い」と感じるころこそ、一度立ち止まり、森の呼吸に耳を傾けてほしい。
焦りを手放したとき、登山のリズムは自然と山の鼓動に重なる。

3-3 所要時間目安(1合目→5合目)

  • 吉田口: 約3〜4時間(最も一般的なルート。馬返し以降は森林浴のような区間)
  • 須走口: 約3.5〜4.5時間(霧が出やすいが、原始林の美しさが際立つ)
  • 富士宮口: 約2.5〜3.5時間(最短距離だが傾斜がきつく、脚力が問われる)
  • 御殿場口: 4時間以上(最も距離が長く、人も少ない“静寂の道”)

僕の経験から言えば、どのルートでも半日がかりを覚悟するのが理想だ。
気温の変化、湿度、そして風の向き——富士山では、それらすべてが登山者のペースを左右する。
特に夏季は湿度が高く、気づかぬうちに水分とミネラルを奪われる。
「まだ大丈夫」と思った瞬間が、最も危険なタイミングである。

3-4 休憩、補給点、小屋事情

1合目から5合目までの間は、江戸時代には茶屋や宿坊が並び、参拝者の憩いの場となっていた。
『富士講記録』によれば、登拝者はここで味噌汁や白飯を食べ、「心身を清めて神域に入る」と記されている。
しかし現代では、多くの茶屋が姿を消し、営業を続ける山小屋はわずか。

したがって、水分・軽食・雨具・ヘッドライトなどは必ず自分で携行してほしい。
特に水は、0合目または市街地で準備しておくのが鉄則だ。

一方で、5合目に到達すれば一気に文明が戻ってくる。
売店、山小屋、案内所、そして宿泊施設。
このギャップに驚く人も多いが、それこそが富士登山の魅力だ。
つまり—— 「1合目から5合目まで」は、山と人との“境界を歩く区間”なのだ。
自分の力と判断で進む4時間の静寂。
それを越えた者だけが、次の世界——雲の上の道へと進む資格を得る。

4. 0合目から5合目ルート全体を俯瞰する

富士山の0合目から5合目を俯瞰する風景

4-1 「富士山登山ルート3776」との重なり・差異

富士山を海抜0メートルから山頂まで歩き切る——。
それが、静岡県が公式に整備した 「富士山登山ルート3776」である。
起点は、駿河湾に面した田子の浦海岸。
白波が寄せるその浜辺を一歩踏み出す瞬間から、登山者は“海から空へ”という日本一壮大な縦断の旅を始める。

このルートは、富士山本宮浅間大社を経て富士宮口から山頂を目指すもので、
まさに「日本一高い山を、最も長く歩く挑戦」だ。
一方、僕が何度も歩いてきた0合目からの登山は、もう少し内省的な旅である。 街から神社を経て、森、そして山へ——と段階的に“心を山に預けていく”流れを持つ。

つまり、3776ルートが「身体の挑戦」だとすれば、
0合目ルートは「精神の探求」だ。
どちらが上という話ではない。
ただ、0合目からの道には、古代から続く信仰登山の呼吸がまだ息づいている。
それは地図には描けない道。
人が富士を登るのではなく、富士が人を導く道である。

4-2 ルート選択肢と比較

富士山には、現在も多くの登山者が利用する四大登山口がある。
いずれのルートも0合目からの登拝が可能であり、
それぞれの個性が、富士山という巨大な山体の“異なる表情”を見せてくれる。

  • 吉田口(山梨県側):最も人気が高く、山小屋や整備が充実。夜間登山にも対応。
  • 富士宮口(静岡県側):山頂までの距離が最短。傾斜が急で、体力勝負の道。
  • 須走口(静岡県側):自然林が濃く、静けさと“原始の富士”を感じられる。
  • 御殿場口(静岡県側):最長距離を誇る健脚ルート。砂走りでの下山が名物。

これらの登山道は、山梨県・静岡県の観光局が共同で整備・紹介しており、
それぞれのルートには安全指導員・避難施設などの体制が整っている。

選ぶ際は、「体力」「目的」「時間」「季節」の4つの条件で比較するといい。
自然を味わうのか、頂上を目指すのか。
富士は同じでも、登り方ひとつで全く違う物語になる。

4-3 0合目起点を選ぶメリットとデメリット

0合目から登ることは、単なる延長ではない。
それは、富士山という“文化遺産”を身体で辿ることに他ならない。

メリット:

  • 浅間神社からの参拝を通じて、富士山信仰の原点を体感できる。
  • 人が少なく、静寂と森の息づかいを味わえる。
  • 登頂時の達成感が格別で、富士山を「地から天まで」一体として感じられる。

デメリット:

  • 所要時間が長く、五合目スタートより3〜5時間以上余計にかかる
  • 補給や休憩ポイントが限られ、装備・計画の精度が求められる。
  • 体力・精神力の両方を要するため、初心者にはやや難易度が高い。

要するに、0合目からの登山は「観光登山」ではなく、“信仰登山”の再現である。
古来、修験者たちはこの道を歩きながら、己の中にある迷いや執着を削ぎ落としていった。
現代の僕たちもまた、スマートフォンの電波が届かない森の中で、
ほんの少しの時間だけでも“原点の静けさ”を取り戻すことができる。

その静寂の中にこそ、富士山という存在の本当の意味が宿っている。
だから僕は、どんなに時間がかかっても、0合目からの登山をすすめたい。
それは“山を登る”というよりも、“自分の心を整える旅”なのだから。

5. 所要時間まとめと1日登頂の可能性

富士山 登山の時間とルート全体像

5-1 各区間と全体の所要時間

富士山を0合目から歩くということは、単なる登山ではない。
それは、標高差約3,700メートル、距離にして20キロメートルを超える壮大な「垂直の旅」だ。

僕自身、これまで何度もこのルートを歩いてきたが、毎回その数字の意味を身体で思い知らされる。
登るごとに気温は下がり、酸素は薄くなり、風の声は鋭さを増していく。
そして人間の小ささと、自然の圧倒的な存在感を思い知らされるのだ。

目安の所要時間は次の通りである。

  • 0合目 → 1合目: 約1〜1.5時間(参道・緩やかな登り)
  • 1合目 → 5合目: 約3〜4時間(森林帯を抜ける区間)
  • 5合目 → 山頂: 約5〜7時間(本格的な登山道・岩場・高山帯)

合計すると9〜12時間以上
しかしこれはあくまで「理想条件下」での目安であり、天候や休憩時間を考慮すれば、実際には12〜15時間かかると見ておくべきだ。

富士山は、急がず、焦らず、山のリズムで歩くことがなにより重要である。

5-2 富士山は「1日で登れる」のか?

結論から言えば、体力と経験があれば日帰り登頂は可能だ。
実際、夜明け前の午前4時ごろに出発し、日没前に山頂へ至る登山者も存在する。

だが、僕はいつもこう伝える——
登れるかどうかより、どう登るかのほうが大切だ」と。

0合目からの道は長く、標高差3,700mという数字の裏には、“命のリスク”がある。
急激な高度上昇は高山病を誘発し、疲労が判断力を鈍らせる。
地元消防本部の統計でも、富士登山の救助要請の多くは日帰り登山者によるものだ。

つまり、1日で登ることは可能であっても、安全ではない
富士山は「速さ」を競う場所ではない。
むしろ、一歩ごとに“人としての速度”を取り戻す山なのだ。

5-3 山小屋泊と日帰りプランの比較

登山には、大きく分けて山小屋泊プラン日帰りプランの2つがある。
それぞれの特徴を理解し、自分の体力と目的に合わせて選ぶことが何より大切だ。

山小屋泊:

  • 5合目、7合目、8合目などに宿泊し、体力を段階的に分散できる。
  • 夜中に出発して、ご来光を山頂で迎えるのが定番コース。
  • 高度順応の時間が取れるため、高山病のリスクを大幅に軽減できる。
  • 気象変化に柔軟に対応でき、安心感が高い。

日帰り登山:

  • 軽装でスピーディーに行動できる。
  • 宿泊費がかからず、時間の自由度が高い。
  • ただし、長時間歩行による疲労が蓄積しやすく、遭難・滑落リスクが高い。
  • 天候変化に対応しづらく、リカバリーが効きにくい。

僕のおすすめは、「5合目または7合目で一泊し、心と体を整えてから山頂へ向かう」ルート。
それこそが富士登山の本来の姿であり、信仰登山の伝統にも通じる「節度ある登り方」だと思っている。

5-4 注意点:天候・高度順応・安全管理

富士山は、日本一高いがゆえに、日本一気まぐれな山でもある。
夏でも気温が一桁になることがあり、山頂では風速20mを超える突風が吹く日も珍しくない。
午後には雷雲が発達し、視界が10メートル以下になることもある。

標高が上がるにつれ酸素濃度は下がり、
2,500mを超えると体内の酸素飽和度が急速に低下する(国立登山研修所データより)。
これにより高山病・頭痛・吐き気などの症状が出やすくなる。

だからこそ、「登るための体力」より「引き返す勇気」を持つことが重要だ。
無理をすれば命に関わる——それが富士山という山の現実だ。

登山者は、
・防寒具(最低でもダウン・レインウェア)
・1.5〜2L以上の水分
・ヘッドライト・行動食
・登山届の提出
この4点を必ず守ってほしい。

富士山は、努力だけでは越えられない山だ。
だが、敬意と準備をもって臨む者には、必ずその頂で答えてくれる。
その瞬間、空と地の間に立つ自分が、「生かされている」という事実に気づくはずだ。

6. 実例・体験談から学ぶリアルな声

富士登山 0合目ルート体験談

6-1 0合目スタート体験記

僕が初めて北口本宮冨士浅間神社から歩き出した朝のことを、今でもはっきり覚えている。
まだ薄明るい境内、石畳に差し込む光がかすかに揺れていた。
鳥の声が森の奥で響き、風が神社の鈴を鳴らす。

その一歩目を踏み出した瞬間、胸の奥で何かが震えた。
「ここから富士山の物語が始まるのだ」と。

0合目からの登山には、人の気配がほとんどない。
聞こえるのは、自分の呼吸と足音、そして森の鼓動だけ。
五合目からの登山では決して味わえない、“静寂の中で始まる旅”
それは、まるで自分の内側へ降りていくような、深い瞑想に似た時間だった。

そのとき、僕は悟った。
富士山とは「登る山」ではなく、「心が整う山」なのだ、と。

6-2 1合目から5合目の歩行記録

ある登山者の記録によると、吉田口の1合目から5合目までを約3時間半で歩破している。
体力的にはそれほど険しくない区間だが、合目ごとに地形や空気が変わることが、この道の最大の魅力だと彼は語っていた。

1合目ではまだ人里の匂いが残り、2合目では湿った森の香り、
3合目に差しかかる頃には木々が高くなり、光が斑に落ちる。
そして、4合目付近——。
急に開けた空間の向こう、青く光る山中湖が目に飛び込んでくる瞬間がある。
その景色を見たとき、彼はこう書いている。

> 「疲れが一気に消えた。まるで山に“報われた”気がした。」

これは多くの登山者が口を揃えて語る感覚だ。
富士の道は、ただの坂ではなく、心の風景を変えていく道なのだ。

6-3 注意すべき失敗談

一方で、「準備不足で痛い目を見た」という声も少なくない。
特に0合目から挑戦した登山者の中には、こうした体験談が多い。

> 「飲み水が足りなくなり、3合目で動けなくなった」
> 「想像以上に時間がかかり、暗闇の中で下山する羽目になった」

実際、1合目から5合目の間は補給ポイントがほとんどない
かつては茶屋や水場が点在していたが、現在は多くが閉鎖されている。
そのため、0合目から挑む場合は五合目スタートの“2倍の準備”が必要になる。

体験者たちが口を揃えて言うのは、
富士山をなめてはいけない」という言葉だ。
それは恐れではなく、敬意の言葉である。

6-4 体験から導かれる結論

0合目からの登山は、観光ではなく“人生を歩くような登山”だ。
時間も、体力も、そして覚悟も必要だ。
しかし、そこには五合目からでは決して得られない深い報酬がある。

それは、
・静寂の中でしか聞こえない「自分の声」
・祈りとともに歩く時間
・そして、地から天へとつながる感覚

このすべてが、0合目からの道に詰まっている。

僕は何度もこの山を登ってきたが、いつも思う。
「富士山は登るたびに、違う顔を見せてくれる」と。
その顔を見たければ、ぜひ一度——浅間神社の鳥居の前に立ってほしい。
そこから始まる道は、地図にない“あなた自身の物語”になるはずだ。

7. まとめと登山を始めるあなたへメッセージ

富士山 0合目からの登山を振り返る

7-1 振り返り:0合目から5合目までの流れ

本記事では、浅間神社(0合目)を出発点に、1合目から5合目までの道をたどってきた。
その道のりは、単なる登山道ではない。
古代から続く祈りの道であり、自然と人の心が交わる“見えない参道”でもある。

0合目は、富士登山の起点であると同時に、心の起動点だ。
鳥居をくぐり、森の静寂に包まれるとき、私たちは日常の雑音を背に置き、
「自分の中の富士山」と向き合い始める。

歩を進めるごとに、木々の匂いが変わり、空気が澄み、
やがて樹林帯を抜けた先で振り返ると、そこには街の光が小さく瞬いている。
その瞬間、人は気づくのだ—— 富士山とは、外にある山ではなく、自分の中にある山なのだと。

7-2 登山準備リスト(装備・体力・時間)

どんなに経験を積んだ登山者であっても、準備なくして富士は登れない
この山は敬意をもって臨む者にはやさしいが、油断する者には容赦がない。

  • 飲料水・行動食は十分に携帯する(特に1〜5合目区間は補給が難しい)
  • 天候急変に備えて、レインウェア・ヘッドライト・防寒具は必携
  • 体力に応じて山小屋泊を計画し、無理のないスケジュールを組む
  • 「登る力」よりも「帰る余力」を残すことが、安全登山の基本

登山とは、「行く」ことではなく、「戻る」までが登山である。
そして、富士登山の真の美しさは、準備の段階から始まっている
装備を整えるという行為そのものが、すでに“信仰の一部”なのだ。

7-3 心構え:信仰と自然を併せ持つ登山

富士山は、ただの地形ではない。
それは日本人の精神を象徴する山であり、
火山としての厳しさと、信仰の優しさを同時に抱く「二面の山」だ。

0合目から歩くという選択は、体力的には容易ではない。
だが、その道を歩く者は、いつしか気づく。
汗と共に、日常の焦りや不安が、少しずつ山の風に溶けていくことを。

苦しさの先に見える景色は、観光としての富士山とはまったく違う。
それは、自分が生きていることへの感謝の光景だ。

どうか焦らず、比べず、自分の歩幅で進んでほしい。
鳥居をくぐったときから、あなたの登山はすでに始まっている。
そしてその道は、
必ず——あなた自身の物語になる。


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